文化としてのIT革命
担当: 武未
(A)情報技術が人間や社会に与えている根本的影替
(1)マクルーハン理論
多くのメディア論は、マクルーハン理論の影替を受けている。その意味は、メディアが変化することによって、文明なり人間の思考法なりが変わっていく。今日の電子メヂイアが生まれる遥か前にかなり決定的な変イヒが起こって、そこから現代史が作られてきた。
(a)話し言葉としての言語メディア
- 釈迦もソクラテスもキリストも書くと言う事を堕落と考えていた。
- グーテンベルグの印刷(17世紀)というハードの革新本(有機的にまとまった形で述べようとする行あ)から、雑誌、パンフレット、新聞という順序で生まれる。
パンフレット・・・情報量が少ない。筆者は一つのことを述べるので文節性が弱くなる。鶏論の構造は単純。
新糊・・・・・・・情報は整った体系ではないものの、ひとつの整理を持った形。論理的な構築性はひじょうに弱い。
難詰・・・・・・・一つの構造はあるが、あくまで料理のメニューのようなもので、それぞれをっらぬく体系牲は無い。
テレビ・・・・・・単位情報を伝える時間の長さだけで整理している。邸時牲、速報佐が高まる。情報は断片化、流動化していく。(2)人間の知について
情報、知恵、知識に三分化される。
(a)情報・・・断片的、即時的、流動的で、いますぐ投に立つ。
(b)知恵・・・永遠で内容に文節性がない。
(c)知識・・・情報と知恵の中間に位置し、有機的で体系牲を維持しようとしている。情報のような動的性格を持ち、知恵のような永遠性の指向も持つ。
以上の定義に沿って現在の情報化を述べると、
・知識に対し、あるいは知識に対して、流動的な情報が、まず圧倒的に増加し、同時にこの流れは、著名性の問題として見ることができる。
・署名牲の問題本の著者・・・ 非常に強い人格像を持っている。
雑誌の筆者・・・ 存在感がかなり小さい。
新聞・・・ 無著名
インターネット・・・ 署名はほとんど無いのと同じ。中央集権牲を持たないので、誰が誰に伝えているのが分からないという形で非常に氾濫している。・この流れは、知そのものの体系が崩壊していったという十七世紀以来の流れと全く平行している。ニュートン、デカルト、カント、ヘーゲル、マルクス等は、世界を一人で語る体系があった.
・ところが、二十世紀になると、カント的な体系性が鉢形もなくなくなってしまった。つまり、知自体の非体系化・非構造化である。これゆえ、新しいメディアは力を持った。
・メディアが変わった事によって、その反作用として、我々の思考法が知識より情報のほうに流れている.知識の部分が多様化し、拡散し、体系牲を失う。つまり、知識の情報化が進むと知恵へ走る。悪い知恵が新新宗教である。
・コンピュータuとインターネットが人間の思考に与える影智は、ある種の自動制御メカニズムのたとえを与えてくれている。例えば、国際社会のバランス・オプ・パワーやジャスティス等。
(B)情報革命時代のコミュニケーション
(1)コンピューターがいつの間にか人間を支配してしまって、コンピューターの方が神になっているような状態。
(2)我々の社会のある部分が、人間が話す言葉ではないコードとかシステムというものによって制御されるようになってきている、その領域が非常に大きくなってきている。
(3)コンピューターが「考えて」居るのではなく、「計算」している。つまり、世界をシミュレーションできる形で透明化して合理的にとらえている。
(4)「思考とは何か」ということに対するとらえ方・とか、あるいは世界に対して思考あるいは言語で人間が対峙するということに対する感覚は変わってきている。
(5)情報化がもたらしたのは、知識とか知恵に対する無力感。
(6)情報化は「経験」ではなくて、「体験」になる。
(C)電子メディアの非身体的な空間牲
(1)デカルトの「コギト」(十七世紀)・・・人間の意識とか思考は、時間現象として非空間的としてとらえられた。
(2)電子メディアにおけるコミュニケーション空間とか、思考空間、電脳空間といわれる空間は何であろうか。
(3)デカルトのこ元論・・・非空間的な人間の精神・意識と物質は異質な世界、実体としては異なる。
(4)二十世把になって「意識にも空間牲があるのではないか」という考えが生まれるけれども、情報メディアの社会では、意識の非身体的な空間睦みたいなものがあるのではないか?・・・
・意識の空間牲、意識と意識鮫コミュニケーション
・サイパースペース的思考の遠近法・・・電子メディアの世界は近さ・遺さのないいわば遺近法のない空間
・inti心ateStramger・・・全然知らない人と匿名のまま話す。矛盾したようなコミュニケーション形式が実は一番自分に近い、自分を開けられるという感じ。
.デカルトの板念と反対の方向・‥思考は空間のはうに、身体は時間.のほうに行っているのではないか?
(D)イメージ編集ツールとしてのコンピューター
(1)社会のシステム化
(a)第一フェイズ
1960年代・・・汎用大型計算機(銀行オンライン・システム)数値や言語記号を処理するプログラムが中一心で、論理であり、システムである。
(b)第二フェイズ
1980年代・・・第五世代コンピューターに象後される人工知能
(c)第三フェイズ
1990年代・・・イメージ処理が中心で、懐疑的にせよ、人間の身体や感性に働きかけてくイメージを扱う。
(iモードなど)
第一フェイズは、「透明な見えない領域」であり、一般の人にははとんど閑保がなかった。せいぜい、新幹線のみどりの窓口での話し。第二フェイズは「意識の身体性」を意識したが挫折に陥る。第三フェイズでは、量が一挙に増え、限られた量のテキストをベースに深く考えて、知恵を発酵させていくという知的活動からだんだん外れていく。環代はそういう社会経済メカニズムになっている。
(E) イメージ操作の危惧
(1)図俊的マルチメディアが可能にする図俊的思考というものが、全くこれまでないような形で人の行動を決定するとか、世界の経験のありかたを決定する。
(2)人間の思考や意識が、できあいのイメージ繰作によってしなやかさを失ってしまっている
(3)昔は、ある程度世界を主体的・選択的にみている暇差しというものがあって、人間は教育を受けてそれに近づいていくんだという考えがあった。しかし、現在は無力感のなかで、面白い映像があって楽しければいいという感じ.
(4)広い意味でのメディアリチラシーが必要かもしれない。
【各個人用提出用レポート辣穎】
IT革命と所得との粥保について
【プレゼンテーション(グループ)用課題】
(1)インターネットの歴史
(2)情報革命と軍事革命
(3)IT革命における日米格差の実態
(4)ITによって進化しはじめた日本企業たち