熊本県石橋巡り

 2004年8月20日、広島市の井上さんに頼まれ、熊本県石橋を撮影しに行くことになりました。行く前にインターネットで調べると、日本の石橋の半分以上は熊本県下にあり、300基以上が現存していることがわかりました。この中に国から指定された重要文化財として「霊台橋」(砥用町)、「通潤橋」(矢部町)があります。今度の旅は、熊本の御船町、中央町、豊野町、矢部町の順に有名な石橋を巡って来ました。撮影に夢中している井上さんです。

御船町

八勢橋 (やせばし) - 熊本県指定重要文化財 -

 架橋:安政2年(1855) 長さ:62m 幅:4.3m。国道445号が開通するまで、日向街道はこの地点を通って、御船から矢部へ通じていました。八勢眼鏡橋は、1855年に御船の材木商・林田能寛が、巨額の私財を投じて架橋したものです。八勢水路橋は御船町で最も古い石橋です。

 石畳の道

 この石畳が昔の日向街道で、御船から矢部、日向へと通 じる重要な交通路でした。この道に立つと、昔にぎやかであった日向街道が想像できます。また、私財を投じて八勢橋を建設した林田能寛の偉大さを感じました。

下鶴橋(しもつるきょう)

 架橋:明治19年(1886年)。国道445号を矢部に向かう途中に見えてくる、長さ71m、幅5.3mの大きなアーチ式の石橋です。

七滝

 高さ60mで、七段からなる巨石を伝わって流れ落ちるところから、七滝と名付けられました。滝つぼから見た雄姿です。

 

中央

 二俣橋(ふたまたきょう) 

 完成:1822年で、形式は単一石造アーチです。橋長:27m、橋幅:2.5m、橋高:8mです。この橋は矢部砥用方面と松橋方面及び甲佐方面を結ぶ重要道路が交差する場所であり、景観もよく往来する人々の良き休憩場所であったといわれます。

日本一の石段(3333段)

 日本一の石段は、昭和55年1月から着手し、山形県羽黒山の2446段を抜いて、名実とも日本一の座につき、昭和63年3月末に完成し、総段数3333段です。この石段は、全国各地の名石のほか、中国、韓国、インド、旧ソ連、ブラジル、アメリカ、南アフリカなど世界各国の御影石を使用し、国際親善並びに友好の絆を結びます。これから機会があれば、3333段をゆっくり味わいたいです。

機織橋(たちおりきょう)

 架設 1922年。国道218号線を矢部方面へ中央町で右折。国道443号線へ約2km行くと釈迦院川が左手より右手に変わります。その上を国道443が交差します。表示板無し。今でも現役で(国道443)頑丈な石橋です。昼間でも石橋の下は真っ暗です。

 

砥用町

霊台橋(れいだいきょう) −国重要文化財−


 
架設は1847年で、150余年かかっているが今も整然と架かっていて、威風堂々とした重量感のある石橋です。石橋のアーチの広さでは日本一といわれました(?)国道218(砥用町と矢部町の間)の横にあり、大きな表示板があります。


 

矢部町

通潤橋(つうじゅんきょう)−国重要文化財−

 安政元年(1854)に完成。江戸時代に造られた日本最大の水を通す石橋です。農業用水や生活用水を白糸台地に送るために、矢部手永の惣庄屋・布田保之助らによって造られました。今度の旅の主な目的は、この橋を見ることです。その名前の由来は中国周易程氏伝により「澤在山下其気上及草木百物」の中の「通」と「潤」をとったものです。

 通潤橋は水を通すための橋です。橋の中に3本の通水管(石の水管)が埋設されており、橋の中央の放水口は通水管のゴミを取り除くためのものです。今は、土、日曜日の正午の15分間放水します。放水するとき、非常に迫力あり、すばらいいです。

 通潤橋は150年前に建築されましたが、下図(矢部町のHPから引用)から自然科学技術がうまく利用されていることがよくわかります。この橋を設計・建築した石工たちに脱帽します。

五老ヶ滝(ごろうがたき)

 通潤橋の下方にある高さ50メートルの雄大絶景な滝です。周囲は熔結凝灰岩で30メートル余の柱状節理をなしていて、滝の左右には見事な自然の彫刻があります。滝つぼ付近は、樹木の色彩が調和して、訪れる人を楽しませます。

 

豊野町

薩摩渡し(さつまわたし)

  架設は1829年で、現在は横の新橋に役目を譲っています。昔、薩摩往還で大名行列・庶民にとって重要街道でした。橋下の川は汚れているが、橋そのものは綺麗なスタイルです。 松橋I.Cより国道218で砥用方面へ約5km、右折約100m位。表示板あります。

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